- Blog記事一覧 -佐倉市のお話③
こんにちは!セドナ整骨院の今田です。
ユーカリが丘本院のある佐倉市には、現在は残っていませんが、
お城が多く存在していました。
その中でも有名なのが、「佐倉城」
佐倉城は江戸城の東方の搦手を守る重要な拠点として、家康の落し胤とも言われる
土井利勝が築いた近世城郭で一説には家康自身が縄張をしたとも言われています。
土井利勝は家康・秀忠・家光の徳川三代に使えた能吏で、将軍家からの信頼が篤かったことが伺われます。
近世城郭としての佐倉城は、土井利勝や堀田正睦など、徳川譜代の重臣、幕府老中クラスが任じられる、
格式の高いお城でした。
城主としては堀田氏の時代が一番長く、佐倉周辺の地元民の間では
「佐倉城」=「堀田氏のお城」という印象が深いそうです。
そして、「臼井城」
臼井城は1114年に臼井氏によって築城されたのが始まり(一説あり)だそうです。
1566年「臼井城の戦い」で北条氏家臣「松田康郷」の援軍もあり、
千葉氏・原氏は上杉謙信を撃退しています。
ただ、謙信の伝記である「謙信公御年譜」には記録されていません。
最後に、ユーカリが丘本院近くに存在していた「志津城」
志津城は臼井城の支城のひとつで、臼井昌胤の次男である志津次郎胤氏の居城です。
現在城址は天御中主神社の境内となっており、空堀の遺構を確認することができます。
このように、歴史深い地域だったんだと気づかされました。
現在も城址公園として残されていますので、
お散歩がてら行ってみたいと思います。